哀れ

亡霊

亡霊

尋常ではない殺気を感知し、そいつは振り向いた。

そこには瀕死の重傷を負っているはずの緋影がナイフ片手に立ち上がっていた。

眼鏡を外した瞳が怒りによって完全に血走っている。

「……驚いた。そんな重傷でよく……」

それ以上の言葉は言わせなかった。緋影が相手の懐に潜り込んでいたからだ。

左肩に走る『罅』をナイフで素早く切り上げる。

呆気なく相手の腕はどん、という音をたてて畳に落ちた。

和室を飛び出た相手を追う。

淡い月光が、儚く廊下を照らしている。

緋影は初めて自分を襲った相手を視認した。

「……小川……まだ意識は残っているか?」

一縷の望みを託して話し掛ける。

だが彼女はただ微笑むだけ。

虚ろに。

複製したかのような、機械的なもの。

彼女に纏わりつく闇はこれ以上無いというくらい根深く、暗い。

噛み締める緋影の唇からはうっすらと赤い血が流れている。

和室から這い出してきた粘性の液体が小川に取り込まれる。

小川は切り落とされた左肩の傷口を何て事のない顔で見つめていた。

トカゲの尻尾のように液体に滑らせ、腕を再生させる。

「流石は不死身のブルー。大した再生能力だわ。奴を取り込むことはできなかったけど、能力は頂けたからまあよしとするか。これならどんな攻撃を受けても死なないでしょうね」

感心したように小川を象ったそれは独白する。

だが唯一の例外が、彼女の目の前に立ち塞がっている。

「その声で喋るな。その顔で俺を見るな。不快極まりない」

緋影の口調にある感情は一つしかない。

怒りを通り越した、冷酷な殺意と呼ぶのもおぞましい『鬼気』。

少なくとも今は、自分の意思をコントロール出来ている。それが正気かどうかはわからないが。

小川は笑いながら面白そうに語る。

「?何を言っているの、深山君。言っている意味がよくわからないけど」

「……そうか。なら遠慮はいらないな」

「何の遠慮?」

「貴様の存在を、小川美奈という哀れな亡霊を、この世から抹消する、その遠慮だ」